小さな恋人というもの

私には甥っ子がいる。
母親は私の姉だが、彼のことをとても溺愛している。
それも無理はない。
子供というがこんなにかわいいものだとは、彼が産まれるまでは知らなかった。

その母親の溺愛っぷりを見ていて思ったのが、母親が息子にかける愛情が、父親が娘にかけるそれとはまた違う、一種独特のものであるということ。
息子は小さな恋人だというが、実にそれが言いえて妙なのである。
私の姉も、例に漏れない。
息子が産まれるまで、彼女はだんなにぞっこんだった。
見ていてこちらが恥ずかしくなるほどそれはそれは愛情を注いでいた。
けれども子供が産まれてみると、今までだんなにかけていたものを全て子供にかけるようになった。
だんなが少しかわいそうだが、それは宿命というものだろう。
そして彼女が余りにも手をかけるものだから、子供のほうも母親が全てになる。
母親の姿がみえないと、この世の終わりみたいに泣く。
そして姿が見えると途端に泣き止んで、べったりとへばりつくのだ。
それがまた愛おしいということで、さらに溺愛する。
という無限のループに組み込まれた親子をみるにつけ、これは本当に恋人同士のようだ、と思ってしまう。
父親の場合はこれがないのだ。
やはり子供との身体的繋がりがあった分、母親と子供の結びつきは強い。
だから、父親と子供よりも、母親と子供の関係のほうが恋人同士みたいになりやすいのであろう。
だからこそ、将来息子に彼女や嫁ができた時に、母親は複雑な気持ちを味わうことになる。
私は、姉が心配でならない。
この溺愛息子が嫁を連れてきたときに、彼女がどんな反応をするのか。
どうかいやな姑にならないで欲しい、と切に願っている。