駈け落ち計画の手助けをした母
私の母の遠い親戚が、他界されました。
亡くなられるちょっと前まで、電話がかかってきていましたし、母から話を聞かされていたので、突然の死が悔やまれます。
この女性の実家は街の電気屋さんで、従業員を何人かかかえていました。
女性にはご主人と双子の女の子がいて、実家の稼業を家族みんなで手伝って暮らしていました。
私の母もアルバイトで時々この電気屋にお手伝いに行っていたそうです。
女性はその従業員の一人と恋に落ち、10歳の年の差に何の不安も感じず、駈け落ちを決意しました。
女性から駈け落ち計画を相談された母は、2人が関西方面に逃げる手配をしたそうです。
2人がいなくなってから、すぐに女性の厳格な父親に、母も責められたそうです。
居場所を知っているなら教えろと、毎晩のように自宅に来ました。
それでも母は「知らない」の一点張りで、2人の生活が落ち着くまでは連絡もとらなかったそうです。
女性とその男性は関西で新しい生活を始めましたが、子供は作らず籍も入れずに、2人で助け合いながら暮らしました。
残した双子の娘たちとも大人になってから再会し、亡くなる1年前には一緒に東京見物に行ったそうです。
なんという壮絶な出来事かと、しばらく放心状態ですが、逆にどこまでお節介なんだろうと。
他人の関係に割って入ることはリスクが大きいですね。
結局、男性は風俗遊びにハマッたらしいです。
義理の母の駈け落ち婚
主人の母は、駈け落ちの経験があります。
6歳年下のすし屋の職人さんと、お互いの家族をおいて駈け落ちしたのです。
主人は当時、小学校1年生でした。
すぐに田舎のおばあちゃんがやって来て、主人と当時中学生だったお兄さんは、おばあちゃんに育てられることになりました。
お父さんは一人で社宅暮らしの中、毎月10万の仕送りをしてくれたそうです。
私が主人と結婚する頃には、一度は勘当された主人の母親も、実家の近くに世帯を持ち、おばあちゃんやおじいちゃんに孝行していました。
結婚当時、主人のお母さんが当時のことを私に話してくれました。
一人娘の一人っ子として育てられ、血筋が汚れてはいけないと、結婚相手も早々と決められ、窮屈な結婚生活が嫌だったそうです。
口紅や髪型を変えても何も言ってもらえなかったと、当時の乙女心を話してくれました。
そこに現れたのが、スポーツカーに乗ったすし屋の職人です。
話も面白く、自由な雰囲気にすぐに惹かれたそうです。
そんなお母さんの当時の写真をみると、女優のような出で立ちで、6歳の年の差を感じさせない、かわいい女の人でした。
年をとっても、そんな雰囲気がありますから、実際は相当にきれいだったと思います。
それは自分のものにしたくもなりますよね、女性としては。