ヒールを履いた大柄女性

私は身長165cmで一般的なパンプスの7cmヒールを履くと170cmを超える。
これまで隣に並ぶ男性のことを考えてヒールを選んだことは無かったが、彼氏が割と気にする。

秋冬はブーツやショートブーツが多く、ブーツ以外では数年前から楽ちんブームが続いているバレエシューズタイプのフラットを履く。
だからあまり気にはならないが、夏のウェッジソールタイプだと、前にも3cmほどの底が付いていて、かかとにいくについれて9cmほどになる。
年齢を重ねるにつれて履くヒールは年々低くなっているが、私よりも高いヒール靴を履く女性はたくさんいる。
彼は夏のウェッジソールタイプのサンダルをあまり履いてほしくないと思っている様子だった。
だから一緒にでかけるときはフラットタイプを履いていた。
彼の身長は178cm。
差が5cmくらいつくように私的には気にしながら靴選びをしていた。
しかし、フラットシューズは履く分には楽で良いが、やっぱり見た目があまり好きではない。
当たり前だが、脚を長く見せることができないので、ヒールに合わせて買ったパンツなどは履けない。
私は典型的な胴長短足タイプなので、ヒールがないと膝丈のスカートも合わない。
そうすると、カジュアルなファッションを合わせることになってしまう。
カジュアルなファッションにフラットシューズを履いていざ出かけようと二人でマンションのエレベーターに乗り込み鏡を見たところで、彼が「今日その格好?」と怪訝そうに聞いてくる。
私は「あなたとの身長差を考慮して靴を選んだから、必然的に合わせる服がこうなった」とは言えないので、「ちょっと楽な格好にしちゃった」と言っていた。
二人の身長差なんて最初から分かっていたことなのに、それでも私を選んだくせに、背の小さな女性を可愛いという。
矛盾だと思う。

知識の正しさ

何事も経験しておいた方がいいということはよく聞くことばだが本当にそうだろうか。
また同様に、知識はあった方がいいということが常識になっているようだが、そうなのだろうか。
私は自分の人生において実験を行っている。
自分の考える生き方をして、それが結果としてどんな人生を創りだすのかという実験である。

遡ること5年前、学生であった私達はこれからの人生について話し合った。
それは学生特有の理想と現実の間を行き来するような、社会に出ている人間からしたら、意味のなさない議論だったかもしれないが、当の本人達にとっては大真面目な議論だった。
互いの理想とする未来は近かった。
おおざっぱな言い方をすれば、何でも解決できるあたまを持った人になりたいというものだ。
彼はそのために出来るだけ多くの知識、無駄と思えるものでも取り入れられるだけ取り入れることが正しいという立場を採った。
どんな問題に対してもあらゆる解決策を考えだそうとするコンサルタント的な考え方だ。
私は違った。
多くの知識があるということは、それに邪魔されて出てこない発想があるじゃないかと言う主張だった。
知ることはいつも正しいことではないのだ。
だから、私はなるべく知識を入れない生き方をする、と宣言した。
私の唱えた生き方の方が一般社会とはズレているということは当時から理解していたが、憧れた物理学者が言っていたことも後押しとなり、自分の人生をかけた実験で正しさを証明することにした。
健闘を誓い合いそれから5年ほど経つのだが、今のところ私は分が悪い。
というよりむしろかなり水をあけられている。
だが諦めない。
きっと私の方が正しい。